ゆきのよる 海南編

共通プロローグ

海南大附属高校男子バスケットボール部の場合、「合宿」は夏に限らない。

それでなくとも全国大会やら遠征やらで遠方へ赴いて宿泊、ということは珍しくないわけだが、2泊以上となると、春の海外遠征、夏の合宿とインターハイ、そして冬の強化合宿がある。

中でも冬の強化合宿は引退で3年生を欠いた状態でスタートを切った2年生と1年生が結束を強めるために行うもので、合宿としては不向きな極寒の1月に行われる。なぜかというと、大きな大会もなくて比較的余裕のある時期だからだ。

ついでに海南大附属高校は実にその半数以上が内部進学なので、3学期特有の学校全体が3年生の受験に引っ張られるようにピリピリしているということもなく、穏やかな時期でもある。

そういうわけで男バスの1年生と2年生は、このクソ寒い時期にさらに寒い山間部にある海南大の合宿所に出かけるのが恒例になっていた。クソ寒いが宿泊施設としてはきれいで安全に作られているし、個室も完備、しかもちゃんと体育館がある。その上体育館は空調が入っていて、夏は涼しく冬は暖かく使うことが出来る。そのため夏は大学の方の合宿でいっぱいになっている。

のみならず、この冬の強化合宿に限り、始まったばかりの新体制に慣れる目的もあってレクリエーションが多い。練習の合間や夜にはただ遊んでいるだけのような時間もあり、夏休みのように宿題を持ち込む必要もないし、なので、けっこう楽しい。

この冬の強化合宿でチームをまとめ直し、そこから3学期いっぱいをひたすら新チーム作りに費やすと春の海外遠征が待っているので、そのためにもこの冬の強化合宿は重要なものだった。

だが、この年はちょっとイレギュラーな強化合宿になっていた。

引退したはずの3年生がふたり、混ざっていたのである。

「こんなに寒いなら来なきゃよかった」
「去年もこんなもんじゃなかったか?」
「曇ってて少し風があるから余計に寒いんじゃないですか?」

凍えそうな寒さに小声でコソコソ喋っていたのは、先月まで部長だった3年生の牧、副部長だった高砂、そして2年生のマネージャーであるだった。

例年であれば、引退した3年生は今頃自由登校に入っているので、教習所に通ったり進学のための引っ越しの準備をしたり、またはこの高校始まって以来の「部活なし」期間を友達や恋人と遊んだり、そういう過ごした方をしているのが普通だ。

なのになぜこの3年生ふたりがいるのかと言えば、理由はいくつかあって、このふたりは早々に推薦入学が内定していたため、新居の契約も引っ越しの準備も既に終わっていること、教習所は2月に予定していること、どちらも羽目を外して遊びたいタイプではなく、その上現在は恋人もおらず、暇だった。

さらに12月の大会で怪我をした部員がひとり、2学期が終わる直前に体調不良でひとり退部が出てしまい、合宿参加人数が減ってしまった。が、キャンセルしようにも宿泊先はホテルではなく合宿所なので、ふたりくらいの誤差なら構わないとのこと。

さらにさらに、今年度の3年生、特に元部長の方の牧はインターハイと冬の選抜にて決勝に2度も手をかけた立役者であり、また部長就任以後は絶対的大黒柱として部を支えてきた人物なので、後輩たちにも大変好かれている。

というわけで、空きが出たし、暇そうだし、予定がないなら合宿来れば? と監督までもが言い出した。

そんなカリスマ性の高い元部長が来たら新体制のチーム作りに支障が出そうなものだが、その辺は全国トップクラスの強豪校の部員たちなので、むしろ、牧さんたちがいなくてもちゃんとやれるってこと、証明しないと! と奮起していた。

なので暇なふたりは遊びに行く感覚で強化合宿に着いてきた。

だが、どんより曇った空は今にも雨が降り出しそうで、乾燥する時期だというのに湿度が高くてつめたく冷えていた。合宿所に到着して荷物を部屋に置き、まずは体育館でミーティングののち軽く体を動かし、本日はそれだけで終わり。到着が午後だったので時間もない。

というわけで余計にやることがない3年生ふたりは体育館の壁に寄りかかって腕を組んでいた。空調は入っているのだが、動いている部員に合わせるためあまり効いていない。寒い。マネージャーのもジャージにレッグウォーマーやジャンパーやマフラーを重ねまくっている。

そこへ現部長の神と、1年生の代表的存在である清田が近寄ってきた。

「お話中すみません、借りられますか」
「いやオレたち引き止めてないから」
「どうしたの」
「監督が夕食の後の予定をちょっと変えたいって話で。ちょっといいか、

神に呼ばれたがその場を離れると、今度は清田が牧に向かって両手をパチンと合わせた。

「明日の練習なんすけど、審判とかお願いできないっすか?」
「おお、了解。そういうのは何でも頼めよ」
「あざす!」

しかし用が済んだはずの清田はパチンと合わせた手の向こうからひょいと顔を覗かせると、にんまりと目を細めた。

「新体制強化もいいんですけど、引退した先輩たちが遊びに来てくれるのって、いいですね」

そんなことを何のためらいもなく言う清田に牧たちはポカンとしていたが、集合がかかったのでまた戻っていった。新主将である神とマネージャーの、そして監督の話が終わったらしい。

……こっ恥ずかしいことを平気で言うやつだな~」
「子供なんだろ」
「対する神はずいぶんしっかりした様子だけど」
「入部したての頃なんかの方がしっかりしてたのにな」
「今年は3年にマネージャーいなかったから、ほとんどお前の補佐みたいなものだったしな」
「そういうつもりじゃ……

3年生にマネージャーがいないどころか、現在マネージャーはひとりである。昨年度は怪我で戦力から外れた男子マネージャーがいたが、以来マネージャー希望者は現れていない。そんなわけで、先月まで主将だった牧の傍らでがっちりサポートをしてきたのがだ。

その役割は今後神のサポートという形になっていくわけだが、それも心配なさそうだ。新たに主将に就任した神は、牧とはまた違った存在感を持ってチームの中心となりつつある。既に1年間主将のサポートを経験しているが隣にいれば、それはもっと強固な大黒柱となるはずだ。

当のは後輩にはちょっとだけお姉さんぽく、同学年には頼れる友人のように、そして先輩たちには従順な、これで中々優秀なマネージャーであった。失敗もあるし、高校生の女の子らしく気まぐれなところもあったけれど、それでもこのチームの一員としての役目を全うするということに対してとても誠実な人物であった。

そんなわけで、は今やチームに欠くことのできない戦力であり、大事な仲間なわけだが、実はその後継がいない。春になったらも3年生、その時点でマネージャー希望者が現れてくれないと、夏頃にが引退してしまったらマネージャーがいなくなってしまう。

「それも問題なんだよなあ。でもマネージャーって結局主役になれない運命にあるわけだし」

首をすくめながら高砂は声を潜めた。海南はそもそもがだいぶ部活動が盛んな校風である。なんと言っても内部進学希望であれば受験の必要がない。3年生の年末までたっぷり部活に没頭できるのは魅力的だ。なので、自分自身の活躍を願って部活動を志す生徒がとても多い。

だが、マネージャーということは、そういう意味での自分自身の活躍、躍進は望めない。あくまでもマネジメント、サポート、後方支援。将来的にこのチームマネジメントの経験が役立つ可能性は高いけれど、未来への備えと10代の自己顕示欲はまったく別次元の話だ。

それを考えると、は貴重な人材ではある。

「どうだった? 1年間にサポートしてもらって」
……助かったよ」
がいなかったらキツかったか?」

高砂の声はゆったりとしていて、裏に潜む感情はないように聞こえた。ただほんの好奇心で聞いてみただけ、そんな風に。なので牧は少し息を吸い込んでから吐き出すように言った。

「国体が選抜だったし……あいつがいなかったらと思うと恐ろしいよ」

だよなアレは思い出したくねえ、と笑う高砂の声をどこか遠くに聞きつつ、牧は清田にまとわりつかれているを眺めていた。優しいけどたまに怖くてちょっとかわいいお姉さんマネージャーなので、1年生たちはみんなが大好きだ。

新主将の神にとっては頼れる相棒になっていくに違いない。さらにその次に主将におさまるであろう清田を始めとした後輩たちにとっても、何をおいても信頼できる先輩になっていくだろう。

昨年度まで在籍していた男子マネージャーが引退してしまったあと、が文字通り紅一点になってしまったことは、しばらく問題視する声が絶えなかった。紅一点、逆ハーレムじゃない? なんていう黄色い声はもう聞こえなくなっていた。

だから牧たち部員も春頃はかなり気を使って過ごしていた。ではなく、自分たちがボロを出したら最後、を取り上げられるということはわかっていたからだ。

女扱いをし過ぎてもダメ、女扱いしないのもダメ、その辺のさじ加減がものすごく難しかった。

だもんで、この牧と高砂を含む3年生は毎日のように「何がセーフで何がダメなのか」ということを相談しながらずっと模索してきた。を女の子として大事にしつつ、仲間として敬意を払っていかなければ自分たちに女子マネージャーを持つ資格はなかったから。

それを間近で見ていた後輩たちは、今後もしかしたら入部してくるかもしれない女子部員に対してはしっかり付き合っていけるはずだ。の紅一点状態はまた来年度も続いてしまうかもしれないけれど、それも心配ない。自分たちが努力してきたことは実になっているはずだ。

例年であれば強化合宿にいるはずのない3年生、牧はそんな感慨に浸りながら体育館の壁に忍び寄る冷気に背中を震わせた。強化合宿は朝から晩まで寒いけど、今年の寒さはまた格別だな――

体育館で軽く体を動かし、夕食の後は施設内の大浴場、それが終われば食事、そして自由時間である。監督と新主将とマネージャーは、せっかく3年生がいるのだから、と元主将チームと元副主将チームに分けたゲームを用意、普段練習ばかりで遊ぶ時間の少ない部員たちは大いにはしゃいだ。

かつては海南大附属も厳しい縦割り構造のスポ根体質だったそうだが、近年ではチームの、選手同士の信頼関係に重点を置くようになった。海南の場合、怒鳴りつけて叱り飛ばして発破をかけなくても、勝手に練習に励むようなタイプの選手が多いからだ。その上で更にハードな練習を課されるわけだが、それも淡々とこなせるレベルでないと、どのみち海南の選手としては能力不足だ。

なのでこの強化合宿に参加している時点で1年生の壁である最初の1ヶ月、1学期の期末テスト、そして夏の合宿とインターハイを乗り越えてきていることになる。海南で3年間戦っていける基準を満たした選手ということの証になろう。

というわけで、部員たちは小学生のレクリエーションレベルのゲームを大いに楽しみ、そのせいですっかり腹が減ったのでみんなでインスタントラーメンを作って食べ、気持ちよく疲れて床についた。テレビも見ず、携帯を眺めていたら手から落ちて顔に直撃するくらいには、眠くなっていた。

そして翌朝、やけに冷え冷えとした空気の中を起き出してみると、前日は穏やかに晴れていた空が分厚い雲で覆われてどんよりと曇っていた。今にも雨が降りそうな曇天。

しかし、雨が降っても所詮室内競技、寒い寒いと悲鳴を上げつつ、部員たちは何も気にせずに朝から体育館で練習に精を出し、昼食頃になって移動のために体育館のドアを開けたところでまた悲鳴を上げた。雪が降り出していて、既に薄っすらと積もっていたからだ。

「ていうか積もるの早!」
「さっき体育館に移動した時は降ってなかったぞ……勢いが強すぎる」
「雪の予報なんてあったかなあ……
、確か天気予報アプリだったよな? 自宅周辺に設定してる?」
……あっ、そうか、ここ自宅からかなり離れてるんだ!」

痛恨のミスにマネージャーは顔を手で覆って呻いた。それに、昨日は部員全員楽しく遊んで疲れて寝てしまい、テレビや携帯で翌日の空模様を確認した者がいなかった。今回の強化合宿は監督ひとりの引率なため、疲れていた彼も何も確認してなかった。全員でやってもうた。

慌てて体育館を出た部員たちは本館のロビーに駆け込むと、スタッフのいる事務所を訪ねた。いわく、こんな時期にこんな激しい勢いの降雪は前例がないことなので、スタッフたちも慌てているという。

無理もない。この合宿所を冬季に利用するのは附属高校のバスケット部くらいなのものなので、強化合宿の間だけ別の施設のスタッフが集まって管理されているに過ぎず、それも通常であれば日中3名夜間1名の管理体制。全員困り果てていた。

「スタッフの人たちが宿泊できる準備がないんだって。だから今日の夜勤の人はともかく、全員そろそろ帰らないと山を降りられない状況らしくて。でもいきなりこの雪でしょ。車も準備が……

状況をまとめたはしょんぼりと眉を落としてため息をついた。たちに関しては2日後にバスがやって来る予定になっており、そこは翌日午後からの予報が晴天なので雪が溶けることと、チャーターバスなので雪道を走る準備をして来てくれるので問題がないのだが、職員の皆さんは泡を食っている。もうここを出ないと帰れない。

スタッフの宿泊の準備がない、というのは主に食事と部屋の問題であり、また、ここは観光ホテルではないために、例えば風呂に入ろうにもタオルは持参してきていなければストックはない。寝具は200人まで対応可能な施設のため用意があるが、それを敷くところはない。

「なんで? 部屋余ってるじゃないすか」
「余ってないよ。オレたちが使ってる1号館しか鍵が開いてないの」
「鍵、フロントにないんすか?」
「駅前の管理事務所の方に置いてあるんだって。もちろん雪で届かない」

この合宿所にはフロントとスタッフルーム、そしてダイニングと厨房のある「本館」、そして大浴場と個室のある「1号館」、1号館と渡り廊下で繋がっている2号館3号館がある。なので対応人数は200人なわけだが、この附属高校の冬季合宿は1号館だけで足りる。そのため2号館に繋がる渡り廊下が既に閉じられていて、使えない。

そういうわけで、現在監督と焦るスタッフと遠く離れた管理事務所が会議中。

「でもさっき見た予報だと日付変わる前には止むみたいだし、明日はカラッと晴れるっていうから、私たちは心配ないね。バスの到着は遅れるかもしれないけど、1号館で大人しくしてれば大丈夫だよ」

それには全員同意見で、部員たちは監督が戻るのを待った。

それから30分ほどで会議が終わると、監督はスタッフを全員帰すことにしたと報告してきた。やはり備えの問題でスタッフ全員の宿泊は厳しいし、部員たちが食事の準備を出来るならたかが一晩である。全ての施設をクローズしてしまい、の言うように1号館に籠もっていれば安全だ。

「なんか逆に合宿らしくなってきた感じがする」
「夏は自炊何回かしますしね」
「練習は出来ないけど、この雪じゃ地元にいても同じだしね」
「じゃあ遊ぶしかないっすね」

大雪に閉じ込められて一晩遊び放題が確定したたちはつい、にんまりと笑った。

それに、これはチームの結束を強めるための強化合宿。こんな特殊な状況でみんなで協力しあって過ごせば結束など勝手に強くなるんじゃないだろうか。中には慣れない状況にストレスを感じてイライラしてしまうのも出るかもしれないが、幸い慕われまくっている3年生がふたりもいる。心配ない。

「よーし、じゃあ何して遊ぶか、考えよう!」

新主将・神の号令に部員たちはいっそ、「わーい!」という歓声で応えた。

そんな彼らの背後の窓には綿のような巨大な雪が静かに降り続けていた。