続・七姫物語 清田編

01

連なる馬車はゴトゴトと揺れながら西へ向かっていた。

彼らは旅の一座で、名を劇団プロメテ座と言い、30年ほど前に旗揚げされて以来、街や祭の大小にこだわらずに興行を打ってきた。演目も子供向けの冒険活劇から大人向けの文芸作品まで幅広く、大陸の南部沿岸の国々を請われるままに旅しては、仕事が切れると故郷に戻る、という生活を繰り返していた。

さてこのプロメテ座だが、1年ほど前にひとり、そして最近またふたり仲間が増えた。

いや、それ以前に寝食をともにしっぱなしの旅の一座、団員の中には夫婦が数組おり、旅の途中で子供が生まれたこともある。が、今回の増員はそれではない。

この一座はそもそも出身国の王家に召し抱えられていた芸人である座長が独立して興したもので、故郷ではいわば「由緒ある劇団」とでも言えるだろうか。なのでどこへ行くにも国王から直接身元証明の書状が発行される数少ない団体であり、そういう事情からいつしか諜報員を預かるようになっていた。

最初に預かったのは軍の諜報員だったが、最近は大陸の南部沿岸の情勢が不安定で、諜報活動に割かねばならない人員が徐々に不足し始め、とうとう1年前には諜報活動を始めた王子を預かることになってしまった。しかも大量にいるうちのひとりではなく、唯一の跡継ぎ。

それだけ彼らの国・カイナンはこじんまりしていて人手不足なわけだが、さてこの王子様は諜報員としても中々に優秀で、1年旅芸人に身をやつして活動を続けた挙句、最も問題となっていた大国・銀国に忍び込んで重要な情報を掴むという任務を成し遂げた。

――が、その任務を遂行している間に、銀国の王女と親しくなってしまい、ついには恋に落ちてしまい、そして彼女の居城が攻撃を受けたのを見過ごせず、連れてきてしまった。そういうわけで、最近増えたのはその王女と、幼いころから彼女の養育係だったじいやのふたり。

またこの王女が無類の芝居好きで、旅芸人の振りをしていた王子と知り合ったのも、芝居目当てに祭に繰り出してきていたのがきっかけだった。座長とも以前から面識があったし、突然の襲撃で囚われの身になっていた彼女は救出されてそのまま王子が身を寄せている一座に潜り込んだ。

そういうわけで、ひとまずカイナンに帰る道の途中である。

「家が数軒しかないような集落でもない限り、まずは営業に出ます」
「町のエラい人、村長とか町長に挨拶をして、芝居やってもいいですかってお伺いを立てる」
「歓迎してくれそうなら早めに小屋を建てて、住民層を見つつ、大抵は『女神と剣士』を演ります」

座長が手綱を持つ幌馬車の御者席で、最近生まれた育った家と街を失った元王女・は、座長とカイナンの王子様・信長に一座が「流し」で村や町に入る時の手順を習っていた。「女神と剣士」は南沿岸部に広く伝わる神話と民話の中間のような伝承なので、どこで演っても間違いがないという。

「一晩泊まるだけじゃダメなの?」
「泊まるにも金がいりますからね。ついでに少し商売をするんですよ」
「だけど町に入らずに馬車で寝泊まりすることもあるんでしょ?」
「そりゃ、興行なんかいらねえ、余所者は出て行けっていうところもあるからな」

歓迎してくれそうな感触であれば宿を取って小屋を立て、短くても3日間は芝居を打つ。そうして少しばかり旅の資金を稼ぎ、ゴトゴト動かない寝床で休んで休息も取り、稼ぎから旅に必要なものを買い求める……というわけだ。

「そっかあ、『女神と剣士』なら準備に時間がかからないし、朝に着いたら夜でも出来るもんね」
「そうですそうです。さすがによくご存知ですねえ」
「そりゃ地下室の遊び部屋が芝居関係のもので埋まるくらいの愛好家だからなあ」
「ちょ、それは忘れてよ!」

手綱を手に馬を操る座長と、その隣に腰掛けているの間、幌の隙間から上半身だけはみ出している信長は肩をペチンと叩かれてニヤニヤと笑った。その遊び部屋に行こうとしていたと、城内に侵入してきていた信長が鉢合わせたのが全てのきっかけだった。座長も目尻を下げている。

「寝泊まりを繰り返して帰るだけならひと月もあればカイナンにはたどり着けますが、それでは食べることもままならないし、野営とか馬車で揺られながら寝るというのは、思いのほか体を蝕むのですよ。悪天候が重なればなおさらです。だから帰るだけでも3倍ほど時間がかかってしまうのです」

まだ銀国を出て4日というところだが、は今のところ元気だ。一度は別れを余儀なくされた信長とずっと一緒で、その上城の地下室をひと部屋を埋め尽くすほど好きな旅の一座に潜り込んでいるので、落ち込まずに済んでいる。一座の心得講座も楽しい。

「それじゃあ稼ぐと言っても、頂いたお金をまた町に返して終わりって感じだね」
「そうです。だから現金じゃなくても我々はありがたいんですよ」
「食料でも古着でも、旅と芝居に使えるものなら実はなんでもいいんだよな」

興行予定の目的地、またはカイナン、どちらにしても無事にたどり着ければいいのだ。

「あとはそうですね、町と町の間で盗賊に襲われないように気をつけることですね」
「ま、人数が少なければオレと用心棒だけでも充分だけどな」
「王子がこういう人ですから、余計に危険には近寄らないようにせねばなりません」

彼女の前でかっこつけたいお年頃なので仕方ないわけだが、座長にとって信長は国王から直々に預かっている唯一の跡継ぎである。彼が暴れる機会はなるべく少なくしなければならない。はムッとして眉をひそめる信長を見て笑いを噛み殺した。

実際彼はもう1年以上諜報員として旅をしてきたのだし、一座では曲芸師の振りが出来るくらい身軽なので、本人の言う「少人数ならいける」は間違いではないはずだ。しかしそれでも間違いがあってはならないので、座長がその件に関しては一切取り合わないのも無理はない。

「次の町は行ったことあるの?」
「もちろんあります。姫の国と我々の国を繋ぐ街道沿いの町ですからね」
……座長、私、もう姫じゃ」

ほんの数週間前までは「お姫様」だった。男女合わせて上から8番目、王女としても5番目だったが、それでも巨大な国の王族であり、16歳になってやっと夜の祭に行くことを許してもらえたような銀国王家の深窓の王女だった。

信長が自身の任務のためにに別れを告げた翌日、の居城とその城下は襲撃を受けた。その中での父親である銀国国王は爆死したとされている。と一緒に国を抜け出した王族もいるけれど、その殆どが女性で、男性は幼い子供がふたりばかりいるだけ。果たしてが受け継いでいる血統としての王家は存続していると考えられるものだろうか。

ひとまず身の安全を確保できる状態にせねば、と投獄されていた王家の女性と子供は少人数に分かれて大陸中に散らばった。なので余計に襲撃後がどうなっているのかがわからない。連絡を取り合う算段は座長が取りまとめているので、やはりカイナンにたどり着かないことにはどうにもならない。

そういう状態のは、今でも「お姫様」なのだろうか。

はそれをずっと考えていた。信長は元々を特別扱いしない。ただひとりの同い年の女の子としてしか接してこなかった。なのでそれは措いておくとしても、この一座、そしていずれはたどり着くカイナンで、一体自分は何者だと言えばいいんだろうと考え続けてきた。

信長とは一緒にいたい。次の町に到着するまでは野営が続くが、夜はぴったり寄り添って眠っている。そのくらい彼のことが好きになっていた。しかし彼はこれでも王子様なのである。

に「お姫様」の身分があった頃は、国の規模で見れば信長は政略にすらならないほど格下の相手であった。もし信長が銀国の女性を妃に迎えたいと思ったら、王家とは遠い親戚の貴族の娘程度でないと話を受けてもらえなかったであろうくらいにはカイナンと銀国には格差があった。

しかしその「お姫様」の身分も格差もない今、信長との関係は一体どうなってしまうんだろうと思うだけで、怖くなってくる。

よからぬ企みを非道な手段で推し進めた結果、街と城を爆破された銀国王家の第5王女など、我が国の王位継承者と直接話すことすら相応しくないと言われてしまえばそれまでだ。国に入れてもらえるかどうかも実は怪しい。そうしたらじいやとふたり、あてのない旅に出るしか道がない。

もうお姫様じゃないってことには不満はないけど、信長と離れたくないなあ……

そう考えて気持ちが落ち込んだの手を、座長の肉厚な手のひらがそっと包む。

「身分の話ではありませんよ。我々春市の常連にとって、あなたはいつまでもお姫様なのです。幼い頃から私たちに拍手喝采を送って下さり、親しくお声掛けを下さった、大陸でも他に例を見ないお姫様なのです。あなたのお家がどうなろうと、私にとってはいつまでも姫君なんですよ」

は頬を染めて俯く。その気持ちは嬉しいけど……

「お国に残してきた仲間からの連絡は、もしかしたらカイナンに着くまでに追いつかないかもしれません。母上や姉上の消息もすぐにはわからないし、この方も王子だし、先が見えなくてさぞ不安でしょう。だけどね姫、誰が見捨てても私たちはあなたを見限ったりしませんから、それだけはご安心下さい」

いつでもにこやかで朗らかな座長だが、最後の方は厳しい声色をしていた。

……ひとり密書を携えて街を出た王子が戻ってきたのは、襲撃から2日ほど経った時でした」
「え、ちょ、座長、その話は……
「私は姫と話がありますから王子はちょっとお休み下さい。じいやさん頼みます」
「え!? ちょ、うわ、じいや何その腕力、腕固っ」

慌てて口を挟んできた信長は後ろから伸びてきたじいやの腕にとっ捕まって引き戻されていった。この付きのじいや、父親も王子王女付きのじいや職だったと本人は言っているが、剣術と柔術は師範代という謎の人物だ。はまた笑いを噛み殺しながら座長に視線を戻す。

「あの日……唯一の避難経路である城下に出る王宮前通りで爆破が続きましたから、私たちもその夜は広場の隅っこで固まっているしかありませんでした。そこから出られたのは翌日のことで、実は工業地区の北側に隠れ家がありまして、ひとまずそこに逃げ込んで安全に脱出する手段を考えていたのですが、そこに王子が戻ってきました。全身怪我だらけ、彼が乗ってきた馬もへたり込むほど疲れてた」

密書を携えて移動中、信長は仲間を名乗る人物に突然襲われて昏倒、目が覚めた時にはは襲撃を受けたあとだったし、密書も奪われていた。

「つい、なぜ戻ったのかと叱りました。そしたら、あなたが心配で戻ったと言うんです」
「だけど……その時はもう」
「多くの人々の安全には替えられなくて別れる決意をしたのに、全て台無しになりましたからね」

何も信長はの居城が爆破されることを望んでいたわけではない。あくまでも、良からぬ企みを暴き正攻法での父親を失脚させたかったのだ。しかしそれも襲撃で無意味なものに。

「私の目の前で奇術師に連れ去られましたし、既に亡くなっている可能性もあると何度も言いましたが聞きませんでした。あいつは第5王女でまだ16で利用価値はないし、復讐の遺族を名乗ってる以上は意味もなく殺すことはないはず、だから絶対生きてる、と譲りませんでした」

信長の読みは正しく、その利用価値のない王家の女性と子供、さらにごく近くで仕える使用人たちはまとめて牢獄に入れられていた。入れられていたというか、放置されていた。

「それから数日、王子は仲間たちとあちこち嗅ぎ回って地下牢に王妃や王女たちが投獄されていることを突き止めてきたんです。彼は私のところへ来て、あなたを連れていきたいと言い出しました。この短い間に好きになってしまったのだと言うんです」

座長はしみじみと話しているが、は顔が赤い。

「正直に申します。彼の父親のことを考えると、私はすぐに返事が出来ませんでした。私にはあなたの生存は絶望的に思えたし、あの時点ではあなたを恋しがっているだけの王子をより危険な場所へ送り込むのはどうだろうかと迷いました」

無理もない。信長の父親はカイナンの国王陛下である。座長はかつて、その国王陛下のおわす城で芸人たちを束ねていた責任者であり、国王本人とも懇意にしているが、そこから預かっている一人息子である。本来なら、崩壊寸前、いや既に崩壊しているかもしれない王家の第5王女なんかのために危険を犯す必要はないはずだ。

「迷いましたが、結局はあなたをお救いすることを選びました。私たちにとってもあなたは大事な姫君なのです。だから私も覚悟をしました。万が一王子と離れることになっても、私たちはあなたのしもべであり続けます。どんなことがあってもお助けしますからね」

はか細い声で礼を言うと、座長の手を握り締めて俯いた。

万が一王子と離れることになっても――それは「万が一」なんかではなく、かなり高い確率で現実になりそうなことだ。これがまだせめて第5王女の身分でもあれば何とかなったかもしれないが、それすらなく、その上そもそもは良からぬ企みをした迷惑極まりない銀国君主の娘だ。心情的にも不利。

信長は、そういうことはカイナンに帰ってから考えよう、今は寝ても覚めても一緒にいられるのだから、不安に苛まれるよりふたりの時間を大事にしようと言う。それもわかる。だが、どうしても怖い。

座長はがどうなろうと一座に置いてくれるに違いない。それは疑っていない。しかしこの一座の本拠地はカイナン、どこで興行を打とうといずれは戻る。もし信長と別れなければならなくなってしまい、やがて彼がどこかの「本物の王女」を妃に迎えたりしたら――

可能性だけならどんな夢想よりも現実味のある未来が一番怖かった。

座長はまたの手を撫で、朗らかな声に戻る。

「さあて、町についたらお仕事ですよ。姫は何をやりたいですか」
「えっ、何って……
「女優になりますか? それとも歌い手? 踊りでも奇術でも、なんでもいいですよ」
「え!?」

言われてみれば、一座が興行を打っているというのに、それを観客席で見ているだけというのはまずい。信長ですら曲芸師の真似事をしておひねりを稼いでいる。だが悲しいかなは観客としては筋金入りだが、演者としての素養はさっぱりなのである。

さあ困った。じいやは腕が立つので用心棒も出来るし、そもそも王室仕え、町のお偉いさんの接待なら丸投げしてもいいくらいの人なので、充分に働ける。だがやっと夜の市に出ることを許されたばかりの元第5王女は、何が出来るのかがわからない。

「わ、私、舞台に立つのはちょっと……歌も上手じゃないし……
「おや、そうでしたか。楽器はいかがですか」
「そ、それもちょっと……! 姉はピアノが上手だったけど私は習っていた程度で」
「ふむ、ではそれも町に着くまでに考えましょうね。大丈夫、きっと見つかります」

座長はにっこりと微笑む。しかしはまたひとつ悩みのタネが生まれてしまった。

王女の身分があった時でも、政略婚をさせるくらいしか使いみちのない穀潰しだったのに、ただの観客でしかなかった一座に放り込まれて一体何が出来ると言うんだろうか。気位だけは異様に高い父親だったから、穀潰しでも庶民が覚えるようなことは一切習わせなかった。刺繍くらいが関の山。

逆に言えば、ろくな教育を与えられないまま16年間城の中で生きてきてしまった。の父親にとって子供、特に娘たちは嫁に出して子を産ませる程度の道具でしかなかったから、自分の力で生きていくための知識など与えるだけ無駄だった。

しかしそれを恨んでも始まらない。ないものはないのだ。何でないのだと罵られても湧いて出てくるわけでなし。何かこの一座で旅をする間、せめて自分が食うだけの働きをしたい。そういう風に物事を考えたことすらなかったけれど、自分の可能性を探すのは少しだけ怖くて、少しだけ心が踊った。

私の中には何が眠っているんだろう。どんな得意がありどんな不得意があるだろう。

は騒ぐ信長とじいやの声を背中に聞きながら、風に吹かれて目を閉じた。

私の行く先は真っ暗で何も見えないけれど旅は続く。背中を押してくれるのは、風だけ――