ゆきのよる

木暮編 1

時は3月、風も温み、桜の蕾はぷっくり膨らんで今にも花開きそうな季節。神奈川のとある駅では高校生向けの卒業旅行パックツアーの出発時間が迫っていた。ごく地元の旅行社が企画したツアーで、まだ雪の残る温泉地に宿泊と道中の観光地に立ち寄るというシンプルなプラン、1泊2日。

なんで高校生が雪深い温泉地なんだ、というツッコミは当然あったのだが、企画してきた旅行社の社員は「自分が卒業旅行をした時は2泊3日、ずっと喋ってた。夜中まで部屋で騒げるのが一番いい」と言うので試してみたところ、意外と好評。今年で4年目の企画である。

日中は観光地を覗き、日が傾いてきた頃に宿に到着、食事は雪の中でのバーベキュー、温泉は24時間入り放題、二棟ある宿の2号館をほぼ貸し切りのため、深夜まで部屋で大声で喋っても大丈夫。余計なオプションがつかないので料金が割安であり、地元駅からバスで出発なので移動も楽々。

そんなツアーに今年も地元の高校を卒業したばかりの18歳が大勢参加していた。本日は5つのグループによるツアーで、出身高校はバラバラ。男女比は女性の方がやや多いというくらい。ひとつだけ男女混合グループもあった。同じ高校の同じ部活の仲間だという。

だが、早朝、まだ薄暗い地元駅の片隅に高校生の甲高い騒ぎ声がこだましている中に、見るも無残な渋面が約2名。男子4人のグループの中のひとりと、女子4人のグループの中のひとり。

……こーいうの、興味ないんじゃなかったの」
……ないけど」
「じゃなんで来てんの」
「付き合い」

大はしゃぎしている参加者の中で、このふたりだけがどんよりした顔をしている。女の子の方は、男の子の方は木暮公延、どちらもまさにこの駅が最寄りの地元民で、同じ中学の出身。

「赤木いないじゃん」
「バスケ部の集まりじゃないから」
「へえー、バスケ部関係ない友達、いたんだ」
「いるだろ、そのくらい」
「優しい友達でよかったねー」

そしてこの最悪に険悪なのには理由がある。ふたりは以前、付き合っていたのである。

時期で言うと、中2の夏から中3の初夏まで。1年ともたなかったわけだが、当時ふたりの周囲には3ヶ月から半年程度で関係解消してしまうカップルが多く、それでも長い方だった。

さらに元々希望していた進路は別々、の方がやや高偏差値な高校を目指していたせいもあって、ふたりは破局とともにぱったりと連絡を絶ち、クラスも違ったので再び顔を合わせることのないまま卒業した。以来、3年9ヶ月ぶりの再会である。

「じゃ、まあ、そういうことで」
「ああ、じゃあな」

あまり後味のいい別れではなかった。なのでふたりは渋面のままくるりと背を向け、自分の仲間の元へ戻っていった。これから明日の夕方まで同じ旅をするけれど、何か交流が必要なわけじゃない。ひとりで参加したならともかく、友達と最後の思い出にやって来た旅なのだから、気にしない気にしない。

――と思っていたのだが、

「なに、知り合い?」
「どうしたよ木暮、知ってんのあの子」
「えっ、人数同じじゃん」
「みんな同じ高校? どこ?」
「あー、うちらは音羽東ー」
「うわ、マジで。頭いいとこだね。オレたちは湘北と春日第一と坂井のミックス」
「ていうかみんな地元? 中学で話した方が早かったりする?」

と、あれよあれよと言う間にお喋りが始まってしまった。と木暮は苦笑いしか出てこない。

そもそも誰も恋人がいないのでこうして仲のいい友人と集まって卒業旅行にやってきているのである。の友人も木暮の友人も降って湧いた素敵な出会いに吐く息がもうもうと白くなるばかり。いかな湘南地域でも、3月の早朝はまだ寒い。

しかしどうにもこの楽しくなってしまっている友人たちに正直に「中学ん時に付き合ってたので死ぬほど気まずいです」と言い出せず、したがって、この合コン状態はやめませんか、とも言えるわけがなく、気まずい通り越してもう帰りたいと木暮は俯き加減で肩を落とした。

の方は同じ高校で知り合った仲良し4人組で、全員進路が異なる上に、うちひとりが九州へ進学するので計画された旅だった。4人の卒業した音羽東は県内でも真ん中と最高峰の間、というくらいの高校で、真面目な生徒が多い校風。反面部活は控えめ。

一方の木暮の方は、昨年の夏から同じ予備校で受験を頑張った仲間。うち春日第一と坂井のひとりが同じ小学校だった縁のグループで、無事に全員合格できたお疲れ旅行だった。木暮も含め全員スポーツに熱中した高校生活を送ったので、競技は違っても相通ずることが多かった。

そういうわけで、いつの間にやら合コン状態の6人は「高校時代チャラチャラ遊ばずに真面目に学校生活頑張ってた系」というふんわりした共通点に安心してしまい、すっかり仲間気分だ。

「どーすんの、これ」
「知らん」
「私別に話すことなんかないけど」
「オレもないけど」

面白くないふたりはブツブツ文句を言っていたけれど、友人たちは聞いちゃいない。そもそもこんな穏やかな卒業旅行ツアーに参加しようというタイプであり、なおかつ親が友達同士の旅行を許可してくれる程度には日頃の行いが大人しい18歳なわけだ。突然楽しくなって参りました。

「そっか、と木暮くんは同中なわけね」
「中学時代の公延ってどんな感じだったん?」
「えっ、えーと」
「いいだろそんなこと、昔の話だよ」
「なに、黒歴史抱えてんの?」
「そういうわけじゃ……

友人たちは色々言ってくるが、それぞれのグループに戻る気はない様子。そうこうしているうちに添乗員がバスへの乗車を案内し始め、なし崩しにふたつのグループはまとまって席についた。そして発車すると、ちょこまかと席を交換し始めた。完全に合コンツアー。

ひとまず並んで座らされたと木暮はどんよりと俯いていた。

「はぁ……どうしてこうなるの……
「オレは知らん……
「さっきからそればっかじゃん」
「じゃあなんて言えばいいんだよ。オレは何もしてないだろ」
「だからでしょ。何かしなよ。止めるとか」
「そっちこそ」

ふたりが面白くなさそうな顔をしていることは友人たちも重々承知のはずだ。だが渋面でもある程度は互いを知る関係のようだし、こっちは勝手にやります! という無視のように思われる。均等に席を交換して一対一で話しているようだが、の友人も木暮の友人も楽しそうだ。誰と話してもそこそこいい感じのようで、なのでさらにふたりはげんなりした顔になってくる。

……赤木はどうしてんの」
「さあ……卒業式以来会ってないし」
「連絡も取ってないの」
「別に取る理由もないからな」
「ずいぶんドライな関係になったんだね」
「というか……どうせまた春から一緒だし」
…………どんだけベッタリなの。付き合ってんの?」
「バスケの都合」
「まだバスケ生活なわけね」
「バスケ中心の生活が出来る時間は限られてるからな」
「学生競技出来なくなってからの人生の方が長いってやつ」
……そう」

これでも恋愛関係にあったので、は木暮がどれだけバスケバカ……というより「部活バカ」だったかはよく知っている。中学から始めた初心者だったそうだが、と付き合い出した頃にはすっかり部活に夢中で、勉強を頑張るのも日々の生活を守るのも全て部活のためだった。

それは引退しても覆らず、高校でもバスケットをやるために相棒の赤木と同じ進路を選んだ。それと同じことを大学でもまた繰り返すらしい。はボソボソと質問を投げかけつつ、細くため息をついた。3年前と何も変わってないじゃん。3年間何やってたの。

……そっちは? 進路」
「都内」
「まあ、そうだよな」

そして会話は途切れた。楽しく合コン状態の友人たちのはしゃぐ声を聞きながら、ふたりは顔を背け合って携帯を見たり目を閉じてみたり、最初の目的地までの時間を仲間たちから外れて過ごした。おかしい。仲のいい友人との思い出の旅のはずなのに。

やっとのことで最初の目的地に到着しても、仲間たちはなんだかきれいにペアを作っていて、と木暮は残された。いや、やっぱりおかしいって。

「うーん、これでそのまま付き合うとかそういうことじゃないんだし」
「だとしても向こうは向こう、こっちはこっち、一応卒業旅行なんだし」
「私、JKになったら彼氏出来ると思ってたんだよね」
「は?」
「思ってた思ってた。でも同じ学校の男子イコール好きになれる人じゃないんだよね」

休憩兼昼食兼最初の土産ショップのトイレにて音羽東組は腕組みで頷く。はひとり呆れてオムツ替えシートに寄りかかってため息をつく。何を当たり前のこと言ってんだ。

「やっぱ音羽東ってチャラチャラしたのいないし、恋愛も真面目に! って子多かったじゃん」
「いやうちらもそういうタイプなんだけどさ、その結果が3年間彼氏ナシ、処女のままJK終了」
「そ、そうかもしれないけど」
「だからって大学デビュー、学生んなったら遊びまくろうみたいなのも違う」
「今すっごくちょうどいい。付き合ってるわけじゃないし、今後も親しくしなくてもいいし」

要するに、の友人たちは木暮の仲間との1泊2日を「絶対安全な一夜限りの遊び」と考えているようだ。確かに自分たち以外にも多くの参加者がいるし、全員未成年の手前、添乗員は男女合わせて3人もいるし、そもそもお互いチャラさとは無縁なタイプ。羽目を外して後先考えずに危険なことをするリスクはまず冒さない。

というか、ここに来るまでのバス内席替えトークはそれを確かめていたんだろう。

「うちらの最後の思い出はどうなるんだ」
「まあそんなのまたいつでも出来るじゃん。私長期の休みは帰ってくるよ?」
「そうそう。この旅行を最後に絶交すんの、うちら?」
「いやそうじゃないけど……

だったら何も高い金払って旅行なんか来る必要なかったじゃん……という言葉を飲み込んだに、3年間書道部だった友人は指を突きつけた。

「てかはいいじゃん、中学ん時に男いたんでしょ? うちらそれもないから」

それを出されるとつらい。はウッと喉を鳴らして返答に詰まった。しかもそれが木暮だとは口が裂けても言えない雰囲気。

「てか何で別れたんだっけ? 進路別れたから?」
「ええと、その、向こうが部活で忙しくて……
「えー、それだけで別れちゃったの? もったいないなあ」

何も知らないくせに勝手なこと言うなよと腹で思いつつ、は苦笑いをするしかなかった。とても親しくて不満など何もない友人たちだが、男が絡むとこれだよ……と気持ちが黒ずんでくる。

確かに中学生の時に木暮と付き合っていたのは事実だが、その恋は楽しいばかりのものではなかったし、苦痛や後悔は今も鮮明に記憶の中にあるし、その上楽しい時間しかないと思ってやって来た卒業旅行で再会なんていう状況、しんどいだけ。

しかし彼女たちの「高校生の間に彼氏欲しかった」という気持ちもわかる。木暮との破局に終わった恋の記憶を抱えていたも音羽東での3年間に新しい恋は出来なかった。臆病になっていたし、そのせいで身近な男子に興味も持てなかった。

心のどこかでは望んでいたのだ、木暮の記憶を吹き消すほど夢中になれる恋の相手を。

でも、いなかった。心は嘘をつかない。

「言い方悪いけど、練習って感じ。恋をどうやって始めたらいいのかもわからないから」

あの部活バカが学校外で仲良くなるくらいだから、もしかしたら、木暮の仲間たちも似たようなものかもしれない。はそう考えて納得しようとした。男が絡まないのであれば何の不満もない大事な友達だったから。

実践で恋の経験がない彼女たちがこの先、望む通りに恋が始められるようになってほしかったから。

「てかあの木暮くん、仲悪そうだけど何があったの?」
「え、ええと……
「さっきちょっと話した感じでは優しそうだったけど」
「でもあのいかにもいい人そうな感じがちょっと警戒しちゃうけど」
「わかるー!」

言いながら友人たちは続々とトイレを出ていく。慣れないメイクがちょっと濃いけれど、3人とも目がきらきらしていて、いつもより可愛い。こういう時の女の子って、ほんとに可愛いんだよな……はその後姿を追う。

あの頃、木暮と付き合っていた時の自分もこんな目をしていたはずだ。

どうやって恋が始まったのか、そして終わったのかはよく覚えている。

関係が険悪になり始めるまでは、この関係や気持ちは永遠に続いていくものだと信じていた。お互いが好きで、ふたりでいることが好きで、それは変わらないと思っていた。その時の気持ちは今でも記憶の中にあるし、子供の陶酔した思い込みではなく、純粋で自然な感情だったはずなのだが……

ふたつのグループはそのまま昼食も一緒に取り、買い物や観光も一緒に回り、添乗員にも「すっかり意気投合ですねえ。前から仲良しのグループだったみたいに見えますよ」などと微笑まれる始末。

その通り、ふたつのグループは奇跡的に同類同士の4対4で、化粧の濃い合コン状態の割に色気もなく、18歳が18歳のまま背伸びもせずに遊んでいられる8人になった。なのでやがてと木暮も、ギクシャクした緊張感を肩にだけ残して普通に笑えるようになった。

黙っていれば、あと24時間もすれば自分たちが付き合っていたことはまた忘却の彼方に捨てられる。

忘れよう、付き合っていたことは、そして険悪になって別れたことは忘れよう。

「では、今からお部屋の鍵をお渡ししますね。温泉は本館の大浴場を除いて24時間入り放題ですが、夕食が19時なのでご注意下さい。夕食は屋外のテント内になりますので、暖かい服装でお越しください」

夕日が差し込む中、たちは雪が溶けずに残る宿に到着。添乗員の説明を受けながら部屋の鍵を受け取る。人数の都合で部屋割は予め決まっていたのだが、ふたつのグループは同じ4人のグループで、隣だった。

「あと一応申し上げておきますが、お部屋の行き来は禁止ではありませんが、くれぐれも危険な行為のないよう慎重な行動を心がけて下さい。なお、2号館自体は温泉への通路を除いて夜23時に鍵がかかりますので、ご注意下さい」

言わずもがな、たちのグループへの注意だった。というか早くもお互いの部屋を行き来する気満々だった。木暮組の幼馴染ふたりがジェンガとカードゲームをいくつか持参していると言い出した時点でそういうことになっていた。実に平和。

正直組は何も用意がなく、どうせ眠くなるまで喋って終わりだと思っていたので、みんなでジェンガやカードゲームの方がいいに決まっている。そして夕食もどうせ一緒だ。

そんな中、荷物を抱えた木暮とはこそこそと声を掛け合う。

「私、言わないから。昔のこと」
「オレも言わない。黙ってれば誰も気付かないだろ」

言うつもりはなかった。言いたいとも思わなかった。だが、相談もなくバラされても困るので。

「今日の夜だけ楽しく遊べればいい。それでいいだろ」
「こっちもそんな感じ。なんとか穏便に終わらせたいから」

ふたりはお互いの顔を見もせず、ただそっと頷いた。

楽しそうなはしゃぎ声がこだまする2号館、その窓の外でははらはらと白い雪が舞い落ち始めていた。

宿の自慢は雪の中でのバーベキュー、いくつかの天然温泉、そして1000年前からあるという秘湯に続く古い吊り橋。吊り橋の両端には篝火が焚かれ、渡り廊下にはランタンが柔らかな明かりを灯す。

好きな人と来たかったなあ。そんな思いを抱えて、ツアー参加者たちは部屋に消えていった。