土日に入り、はやデビーと観戦に赴いたが、結果的に神奈川は3位に終わった。その代わり、諸星のいる愛知が2位となり、は諸星から届く褒めてメールに辟易していた。ただでさえ国体開催期間中は「なんで来てないの」だの「土日の試合後に遊ぼう」だのとしつこかったのに、まだ終わらない。
シュート練習帰りのと神は諸星についてああだこうだと文句を言いながら歩いていた。
「開口一番『ちゃんどこ?』ですもん」
「神くん他にも災難だったよね……」
「ほんとに……あれが藤真さんの謀略だとすぐに気付くべきでした。オレも修行が足りない」
たちが駅にいる頃、藤真にあることないこと吹き込まれた三井に挑発されて、神はシューティング勝負をしていた。藤真の口車に乗せられた長谷川がそれを見守るという、よくわからない勝負だった。3人が我に返って謀略だと気付いたのは、戻ってきた牧に声をかけられてからだった。
「勝ったの……?」
「勝ちました。口出し禁止じゃなかったし、三井さん案外脆かったので」
「ああ、そういう……」
「あとまあ、ぶっちゃけ長谷川さんは味方でしたし」
は神の清々しい笑顔がだんだん怖くなってきた。
「でも寂しいなあ。もう冬の選抜しか残ってない」
「次期キャプテンが何言ってるのよ、もうそろそろ心の準備始めておかないとね」
「ずっとこのままがいいなあって最近よく思うんです。牧さんがいて先輩がいて」
そうやって何度でも季節が巡り、何度でも好敵手たちと熱戦を繰り広げていられれば――
「牧はアレだけどさ、私は内部進学だからたまに顔出すよー。兄ちゃんと一緒に」
「そのアレっていうのが……。失礼な表現ですけど、さんでなく牧さんとふたりセットがいいです」
「兄ちゃん不憫!」
はあまり本気にしていないようだったが、神は真剣にそう思っていた。だけでも、牧だけでも何かが違う。海南に入学し、バスケット部に入部してすぐ、神はと牧がふたりで談笑している姿に目を奪われた。そのふたりの横にいつまでもくっついていたかった。
自分からは話したりはしなかったけれど、聞かれればそんな思いを誰にでも話した。誰にも理解はしてもらえなかった。だいたいはのことが好きなのだろうという結論で片付けられてしまった。
もちろん好きだ。のことは大好きだ。だけどそれは彼女になって欲しいとか、触れたいとか、そういうことではなかった。とふたりきりでこうして下校していても、ここに牧がいればと思うことがある。楽しそうに話すと牧の話を聞きながら、たまに口を挟むのが好きだからだ。
そんな幸せな時間も、3ヶ月と経たないうちに終わる。
「そしたら神くん、牧と同じ大学行かれるといいね」
「それは別に。だって牧さんがいてもさんいないじゃないですか」
「私なんかいなくたっていいじゃない! もう、神くんはわかんないなあ」
神はふくれるの横顔を見ながら困ったように笑う。にもわかってはもらえないだろう。だが、それでいい。自分でもおかしな感情だと思っているから。と牧のいない海南で1年、それを振り切りながらインターハイ優勝を目指すのだ。
「やだなあ、神くんが変なこと言うからあ」
「……ごめんなさい」
は神の腕を引っぱたくと、鼻をぐずぐず言わせた。が言ったように、バスケット部はの高校生活の全てだ。その終わりが見えてきているところに別れを惜しむようなことを言われれば涙腺も緩む。
「ひどいなあ、神くん、卒業したら二度と会えないみたいなこと言って」
「すいません。オレもそんなのいやです」
「卒業しても時間見つけて会おうよ」
「お願いします」
神も泣きそうになってきた。神は洟をすするの手を取ると、何度も大きく揺らした。
国体が終わり中間も過ぎ、バスケット部は冬の選抜予選へ向けて毎日ハードな練習を続けている。結局秋になっても女子マネージャーは入って来ず、はそれが気になりながらも、黙々と仕事をこなしていた。
冬の選抜の予選にしても、牧は修羅の形相の藤真や仙道を蹴散らし、本選への切符を手に入れた。即ち、3年生の最後の舞台である。ここでどれだけ勝ち進めるか、いつ最後の試合となるかは選手たち次第というわけだ。
今年第2シードの海南は初戦が2日目、国体と違って今回はバス通いである。開催地が渋谷近辺なので、神奈川方面からでも近い方に入る。クリスマスが近付いて、街がイルミネーションだらけになっていく中をバスケット部員たちはジャージで出かけていく。
「なんだか毎年イルミネーションが増えてる気がする」
「オレらが子供の頃は地元なんか真っ暗だった気がするけどなあ」
「最近ショボイ電飾が付くようになったよね」
もう爪弾きにされているわけではないのだが、と牧は並んで座っている。窓の外のクリスマスデコレーションに彩られた街を眺めながらが零すと、牧もうんうんと頷いた。
「でもクリスマスパーティの時なんかいいよね、街がテーマパークみたいで」
「先輩はそんな悠長なこと言ってる場合ですか」
の後ろから神が顔を出し、の脳天を突付いた。
「あっ、そうそう。、去年はすまなかった」
「またそんなこと言って……別に牧や神くんが悪いわけじゃないじゃない」
「どうにかなりませんかね、あれ」
「さすがに今年はないだろうと……思いたいんだが」
「希望じゃ困りますよ」
冬の選抜が終わると、次はクリスマスパーティ、そして3年生の完全引退。これはほぼ伝統であり、1年間共に戦ってきた監督や顧問と選手たちが唯一肩を組んで楽しめる機会なのである。マネージャーが強制労働を強いられるという点を除けば、とても良い習慣なのだが――
「とうとうマネージャー新しく入ってきませんでしたしね」
「海南の女子マネの歴史にも幕が下りちゃうのかなあ」
「話をすり替えないでくださいよ」
「だって、今からそんなこと言ってどうするのよ〜まだ試合が始まってもいないのに」
「試合は全部勝つからいいんですよ。優勝するだけですから。ねえ牧さん」
神があんまりさらりと言うものだから、牧は思わず咳き込む。
を一番高いところに連れて行くと心に決めたのは、3年生になる直前だった。その3年生の終わりも引退も迫っているが、まだ牧は誰の手も届かない一番高いところを諦めてはいなかった。はインターハイ優勝という高みに連れて行ってもらうことが目標だと言ったが、もう冬の選抜でも構わないだろう。
「言われるまでもないよ」
神奈川では絶対王者と言われながら、歴代の海南が成し得なかったその栄光に手をかけてやる。
「……そうだね」
そして君に一番高いところからの眺めを見せてあげるから――
夏のインターハイのように、番狂わせはつきものだ。強豪校が早い段階で敗北したり、怪我があったり、ノーマークの選手が飛び出てきたり。この冬の選抜も例外ではない。けれど、海南はそんな方々で起こるドラマの中を淡々とすり抜けて勝ち進み続けた。
トーナメント戦が開始してからは、も殆ど選手たちと口を利かなくなった。とても出場など適わないデビーのような部員ですら、一試合ごとに「まだ牧さんの引退試合にはさせない」と強く思っていた。牧の引退試合、それは決勝で勝利する以外には認めたくない。
一方で、対戦相手の、特に3年生は何が何でもこの牧という聳え立つ壁のような男を負かしたい一心で挑んでくる。しかしこの時にあって、牧は対戦相手よりも遠くを見つめていた。誰がどれだけ牧に対して執念を燃やしていようとも、牧はそれをするりとかわしていく。
超えるべきなのは自分、そして見ているのはこの試合の勝利ではなくて一番高いところ。そのためには全て踏み台にする。目の前の相手が誰であろうとどんな思いでいようと、そんなことは関係ない。全て叩き落すまでだ。
「姉ちゃん、牧さんて、本当にすごい人だな」
「うん……そうだね」
「それを3年支えてきた姉ちゃんもすごいね」
「そう思ってもいいのかなあ」
「思っておいた方がいいよ」
とうとう決勝まで漕ぎ着けた海南は、妙な静けさの中にいた。もちろん監督からは厳しい指示が飛ぶし、それには威勢のいい返事が返る。けれど、興奮や熱狂はなかった。刻一刻と迫る高校最後の試合を前に、牧が一切の口を閉ざしたからだ。
その様を横で見ていた神は、あとでに「一点の曇りもない集中」だったと語った。
「私、ここにいられて幸せ」
はそう言って微笑み、デビーは初めて姉に一族の華が咲いたのを感じた。
「……大ちゃん確か東京に進学でしょ」
「そうだよ」
「じゃあ今より近くなるんじゃない」
「そう、今度はすぐ会えるよ!」
「じゃあこれはなに」
全ての試合が終了したその後のこと。またもの前に現れた諸星は「お別れに」などとしおらしいことを言いながら、両手を広げて立ちはだかった。
愛和学院はインターハイと同じ3位という結果に終わり、決勝への道を絶たれた際には諸星も号泣していた。その代わり3位決定戦では鬼のような戦いぶりを見せて大差で勝利。それが今朝のことなので諸星は少し機嫌がいいのである。へのアプローチも悪質ギリギリというレベルまで来た。
「ハグぐらい何てことないよ、ほらほら」
「いい加減にしろ」
「あ痛!」
両手を広げてににじり寄った諸星の脳天に牧のチョップが振り下ろされる。
「お前は最後までほんとにみっともねえな」
「恋する男はみんなみっともないもんだぜ」
「お前のは恋じゃなくて、ただの嫌がらせだろうが。ほとんどセクハラじゃねえか」
牧は来年からこんなのとチームメイトになるのかと思うと心底うんざりした。優秀な選手だとは思っているが、人間性への信頼はないに等しい。しかし大学に入れば新たな出会いもあろう。そこでを凌ぐターゲットが見つかることを願って止まない牧だった。
「なあでもマジでうちからあの大学に行くのオレしかいないんだよ。先輩も今の2年にひとりいるだけだし」
「だからなんだよ」
「ほんとにマジでひとりぼっちなんだって」
「だから?」
「寂しいから遊べ!」
「断る」
「即答するな!」
新たなターゲットが見つかることを願って止まない牧だが、どうにもそれまでは振り回されてしまいそうな気がしている。聞くところによれば、牧や諸星の進む大学には、神奈川の名の知れた3年生はひとりも進学していかないというので、そういう意味では牧も同じである。ただ実家や母校が遠くないというだけ。
「ちゃん、オレ寮じゃなくて部屋借りるから遊びにおいでよ」
「行く理由がないよ」
「理由なんかなくてもいいよ、来てくれるだけでいいんだって」
「よし、オレが行ってやろう」
「いやそれは」
「なんだよ、ひとりで寂しいんだろ」
諸星もだいぶボロが出てきた。は後輩に引き摺られて帰っていく諸星を見て笑いながら、牧のジャージの袖を指先で摘む。牧はの方を見ずに、小さく頷く。
「あんなのがいたら寂しいとか新生活不安とか、そういうの、ないだろうな」
「なんかいつか一緒に遊ばされる気がする」
「仕方ねえな、江ノ島連れてって海に突き落とすか」
は声を上げて笑った。真っ赤な目をしたまま、コロコロと笑った。鼻も赤い。声もまだ涙声だ。牧は諸星のふざけた態度も、こんなを見て笑わせてやりたいと思ったからだと解釈してやることにした。
海南大附属バスケットボール部は、冬の選抜を準優勝で終えることになったのだった。
「一番高いところに、行かれなかったな」
「……うん」
「連れて行ってやれなくて、ごめん」
「そうかな」
「え?」
と牧は、閉会式の片づけが慌しく行われているメインアリーナをドアの向こうに見ながら並んでいる。ただでさえ騒がしい会場の中で、ふたりは静かな静かな空間に取り残されていた。
「私、試合が始まる前にね、幸せだなあって思ったの」
「幸せ?」
「神奈川の王者海南に3年間いられて、2度も決勝の舞台に臨めて、私、なんて幸せなんだろうって」
それが勝敗で決されてしまうのは勝負である以上は仕方のないことだ。
「その時、私はたぶん一番高いところにいたんだと思う。どんな場所よりも高いところにいて、何もかも見渡せるような気がしたんだ。そんなところに連れてきてくれたのは、牧だよ。……ありがとう」
牧は返事の代わりにの手を取って、固く握り締めた。
がそれなら、だけでも一番高いところに上り詰められたのなら、それでいい。自分はこれからまだ更なる高みを目指していくけれど、の3年間がこんなに澄み切った世界で終われるのなら、後悔はない。
神の言葉が牧の耳に蘇る。
「先輩は恒星なんですよ。――ステラ」
つまり、太陽だ。
誰もが海南の中心は牧だといった。牧は核なのだと。その核たる牧は今、神の言葉の意味が全身を駆け回るような気がしていた。核として最深部から全てを動かしてきたけれど、そんな自分を暖かく優しく照らし続けてくれた光はだ。がいなかったら、真っ暗な地の底でひとり、どうなっていただろうか。
ふたりは神が呼びに来るまで、そうして手を取り合ったまま佇んでいた。
引退まで、あと少しである。