白蝋館の殺人

9

実際のところ、必ずしも牧が瞬間記憶に長けていると実証実験する必要はなかった。牧の記憶が正しかろうが現状の打破には繋がらないし、いずれ警察がやってきた時に説明すればいいだけのことだ。

それでも実験をしてみることになったのは、牧の記憶が信用に値するものになることで「共通の認識」が生まれるからだ。あとで事件発生時のことについて認識のズレが生じて揉めなくていいように、そういえばあの時こんな感じになってなかった? などと混乱を招かなくてもいいように。

不機嫌通り越していっそ怒りの表情が滲む梅野さんが「その子が偽証しないって保証はないだろ。そこの彼女があの男に絡まれて恨んでたかもしれないじゃないか」と突っ込んできたが、全員の記憶が鮮明な今、事件発覚後の現場の状況を偽装しても牧にはなんの得もない、答え合わせのためだとメイさんにツッコミ返されていた。

というか状況は密室殺人であり、何か込み入った策を弄して複雑なトリックで殺人を実行でもしていない限り、ほとんどの人々は開かないドアに向かって一緒にいたのである。少なくとも現状では牧と、敬さん、柴さんと島さんに犯行は不可能なはずだ。

「じゃあ適当に並んで下さい。重なっててもいいですよ。僕は一瞬だけ振り返ってまた背を向けます。そのあと5秒数えますので、好きなように動いて下さい。数え終わったら何が変わったかすぐに答えます」

ロビーラウンジの大階段の正面、牧は背を向けてスタッフルームに続く廊下の方を向いて立っていた。そこから3メートルほど離れた場所に敬さんメイさん、柴さん島さん、国竹さん松波さん菊島さん、志緒さん、下谷に春林の妻の方、計10人が少しずつ重なって並んだ。

普段牧が把握し続けているのは自分を除いたコート内の9人の敵味方の選手だが、彼には自信があった。なおは彼氏かわいさに全く動かないに決まっている、と春林氏に言われて不参加。

「いいですか、3、2、1で振り返りますよ」

カウントダウンののち、牧はピボットの要領で素早く振り返り、1.5秒ほどですぐに背を向けた。そして大時計の秒針の音に合わせて5つ数え、また素早く振り返った。

「端からいきますね。メイさん、組んでる腕が上下逆。島さん、一歩下がってる。志緒さんと国竹さんの位置が入れ替わってる。柴さん、軸足が変わってる。松波さん後ろで組んでた手が前に来てる。敬さん、さっきは松波さんの肩に手をかけてなかった。春林さん、頬を触ってた手が首を触ってる。菊島さんと下谷さんの位置が入れ替わってる。ついでに最上さんの組んでる足が逆、葛西さんは垂れてた髪をかきあげた。は手をポケットに入れた」

全部正解。も一緒になって驚嘆の声を上げてしまうほどの正確さだった。

「もう1回やりますか?」
「いやその……実証実験とかじゃなくて、すごすぎるんでもう1回見たいくらいなんだけど」
「いいですよ、やりましょうか」

柴さんの興味津々な丸い目に牧はにっこりと微笑み、もう2度実験をしてみたが、牧はひとつも漏らさずに違いを言い当てた。というか、3度の実験の最初の配置や状況が全部頭に入っていた。これにはさしもの葛西や最上、春林氏も言いがかりをつけようがなかった。

「すまん、オレもここまでとは思ってなかった。もう1回あの時の状況を説明してもらっていいか」

改めてラウンジのソファに落ち着いた16人はと手を繋いで座っている牧に注視した。敬さんに促された牧は軽く頷くと彼の視点でもう一度事件発生時の状況をなぞる。基本的には全て同じだ。

「で、僕と柴さんが葛西さんと最上さんを止めている時、敬さんはまだ遺体の近くにいました」
「紳一くんがそんな特技持ってると思わなかったし、認識を統一するのに柴くんを呼び戻したんだよ」
「僕は菊島さんが加勢してくれたのでのところに戻りました。志緒さんが来たところでした」
「で、オレは敬さんと遺体の状況の認識を確認、終わってからすぐに離れた」

確認が終わったので敬さんは全員を廊下に追い出し、206号室を閉鎖した。そこからは梅野さんと下谷を除いた全員が一緒だった。これだけ聞くぶんには、まさかこの中に犯人が紛れているとは考えづらい。状況密室ではあるが、悲鳴から突入までの間にドアは一度も開いていないことになる。メイさんが折れそうなほど首を傾げた。

「紳一くんがおかしいなって思うところはなかったの?」
「おかしいと言っても、そうですね……床にガラス片がやけに散らばってたとか……
「窓ガラスが割れてたんでしょう?」
「いえ、窓ガラスは内側から割られていたので破片はバルコニーに散らばってました。それとは別に、部屋の真ん中あたりで細かくて薄いガラスのようなものを踏んでしまった記憶があります」

牧は片手を口元に添えながら、改めて当時の状況を思い返していた。遺体の状況を見てすぐにこれは事故や自殺ではないと確信した。なのでの安全が最優先、それに自分は未成年なのででしゃばると後で厄介なことになりそうだと思っていた。なので背後の騒ぎが気になって顔を上げ――

「ただ、部屋の中はとにかく真っ暗でした。廊下の明かり、外から入る雪の反射、それだけでは部屋の隅まで確認できませんでした。覚えてるのは、僕たちがお借りしている203号室とは配置が全て逆で、ベッドがひとつ多くて、向かいの部屋のドアが見えてましたが閉まっていて、206号室のドアの辺りでが国竹さんたちと固まっていて、この通りドレスのままだったので、寒いだろう、と……思っ――

そこで牧は言葉を切って止まった。は繋いだ手に手を重ねて顔を寄せる。

「牧、大丈夫?」
「寒かった、よな?」
「うん。すごく寒かった。雪が私たちがいたところまで吹き込んで」
「どうした紳一くん」
――――いえ、すみません、視覚の記憶はあるんですが、寒かったことが記憶になかったもので」

そりゃあしょうがない、と敬さんが言いかけたのだが、そこに春林氏が口を出してきた。

「ほら見ろ、やっぱり子供の言うことなど信用出来んじゃないか」
「さっきあれだけ証明したじゃないか」
「だからそれが何だって言うんだ」

春林氏は身を乗り出し、敬さんに人差し指を突きつけた。

「今問題なのは、この中に殺人鬼がいるっていうのに、のんびりお喋りをしているってことだ。君がオーナーなら客の安全を最優先すべきじゃないのかね。警察が来られないなら自衛隊でも派遣させろ。我々を一刻も早くここから救助させることが先決だろうが。推理ドラマごっこはそれからやってくれ」

本人は論破した気になっているようだったが、最上が遠慮なくため息をついた。

「いやあのね? あんたも容疑者のひとりだって忘れてない?」
「はあ? 私は無関係だよ。あんな見ず知らずの男を殺す動機がない」
「だからそれ、みんな同じだから」
「そんなことわからんじゃないか。どこかで誰かが知り合いだったかもしれんだろう」
「えっ、おっさん大丈夫? だからそれあんたも当てはまるでしょ?」
「当てはまらん!!! 私はあんな男は知らん!!!」

メイさんが顔を覆って仰け反る。殺人鬼が隣に座っているかもしれないことより、この春林氏が存在することの方が厄介なのではという気がしてくる。

「あのねえ、そこの坊やに同意するのも癪だけど、確かにそういう意味では今ここにいる全員が容疑者なのよ。計画的で怨恨から来る犯行なのか、衝動的で偶発的な犯行なのか、それすら断定できないんだから、誰にでも可能性は残るのよ。それに私たちがやってるのは推理ごっこじゃなくて、全員で全員を監視することなの。万が一にももうこれ以上異変を起こさせないようにね。それに自衛隊が来ると思ってるなら防衛庁でも最寄りの駐屯地でも電話してみなさいな。よしんば出動してくれたとして、到着する頃には夜が明けてるでしょうね。天気予報が正しければ明日は朝から晴れるそうよ」

淡々と言い返された春林氏は「ふん」と口で言い、そっぽを向いた。メイさんの言うように、天気予報が正しければ明日は晴れて気温も上がるらしい。安全を考えればこそ、全員で一箇所に集まり朝を待ち、警察の到着を待つのが最善策のはずだ。

時間は既に午前1時を過ぎた。あと数時間待てば夜は明ける。

国竹さんと松波さんが1階の倉庫から暖房器具やひざ掛けを引っ張り出してきたので、深夜のラウンジにしては暖かく、メイさんの「全員で全員を監視」という安全を第一に考えての状況に逆らう上手い言い訳もなく、16人はじっと座っていた。

だが、共通の話題は事件くらいしかなく、数名頭に血の上りやすいのがいるせいか、どうしても「推理ごっこ」に向かってしまう。それぞれに言葉を選ぶ努力はしているようだが、要は犯人探しだ。誰でもいい、自分以外の誰かが犯人と認定されれば気が済む。

「だから、動機という点では全員に等しく可能性があるのよ。例えちゃんでもね」
「衝動的な犯行ならもちろんそうだろう。だがこの状況で人を殺すか、普通」
「人殺し自体がもう普通じゃないと思いますけど……
「そういうのは揚げ足取りって言うんだ。というか計画的な犯行の線はないのか」
「素人が断定できる状況じゃないと思いますけど……

あれこれとしつこい春林氏の相手をしているのはメイさんと島さんだ。春林氏はとにかく自分が容疑者から外れたい一心であれこれと口を出すが、何もかも破綻していて埒が明かない。今度は計画的な怨恨説で自分を除外しようというネタに出た。

「というか全員のプロフィール確認がまだなんじゃないのか」
「プロフィール?」
「あの殺されたやつはどこの人間なんだ。出身は。仕事は」

東丸のプロフィールを承知している葛西と最上は頬杖でため息をついている。容疑者16人のプロファイリングがしたいなら自分から話せよ、という顔だ。

「なんだ、私か? まったく、年長者が手本を示さんと何も出来んのか。私は東京出身で山梨在住、定年後に移住というやつだ。そこで介護サービスの会社を経営している。この年まで交通違反ひとつしたことない。社会に貢献もしてきたし、部下たちからは慕われてるよ、これでも」

面倒くさいが付き合ってやらないとへそを曲げて何をするかわからないので、謎のドヤ顔の春林氏が言い終わると牧が手を上げた。高校生なので言うことは少ないし、早く済ませたい。

「僕とは神奈川県出身神奈川県在住、海南大学附属高校の2年生です」
「まあふたりはそれくらいしか言うことないわよねえ」
「ちなみにこの白蝋館は2日前に知ったばかりで、雪で仕方なくお世話になってます」

聞くまでもないことを下らない、と言いたげなメイさんの脇から、やはり早く済ませてしまいたい柴さんと島さんが顔を出した。

「オレたちは群馬出身の幼馴染、今はオレが埼玉在住で仕事は物流関係、こっちは東京在住で仕事は出版関係、どっちも独身、基本的には仕事が忙しくて遊んでる暇はなし、今回はたまたま休みが重なったからダーツの旅に出ることにして、ここに来たのはダーツが刺さったから。以上」

そこで国竹さんが身を乗り出し、スタッフの紹介を買って出た。

「私は長野出身です。松波さんも長野、菊島さんは三重、梅野さんは福島、他のスタッフも出身地はバラバラ、普段は最寄り駅の辺りにそれぞれ住んでいて、白蝋館と往復の生活してる人が多いです。1番スタッフ歴の浅い私でもここは5年目ですが、東丸さんは初めてのご利用だと思います」

その国竹さんの言葉尻に食いついたのは葛西だった。そうなの、あたしたちここ初めてなんですけど!

「高校の卒業旅行でこの近くのスキー場に来たことはある。でもそんなの10年以上前の話だし、このホテルを勧めてきたのは旅行代理店の人で、あたしたちもこんなホテルのことは何も知らなかったからね。てかあたしたち石川出身で高校一緒だったけど、今は全員バラバラ。恭介なんか去年の春まで北海道でまた月末から上海赴任、あたしと勝は名古屋、龍己は金沢、会うのも年に1回くらいなんだけど」

また春林氏が「ふん」と言っているが、牧はの肩を撫でつつ「見事にバラバラだな」と思っていた。ということは志緒さんも石川県出身なのだろうか、視線が集中した彼女はちょっと肩をすくめ、寒そうに身を縮めてジャンパーをかき合わせた。

「わっ、私は中高と石川で過ごしましたが、元は東京出身で、進学でまた戻りました。今も東京にいます。仕事はええと、会社員です。ここには静養で年に1回か2回来ます」

志緒さんが言うとスタッフが一斉に頷く。リピーターである彼女はプロフィールを誤魔化しようがない。なのでメイさんが渋々口を開いた。

「あたしは秋田生まれ兵庫と福岡と徳島育ち。転勤族の娘ね。進学で大阪に4年、就職で東京4年、転職してロサンゼルス、シアトル、トロント、マレーシア。その辺で人生嫌になってまた転職。そこからは東京だけどここにはしょっちゅう来てる。現実逃避よ。仕事は文筆業ってとこかしらね」

いきなり奇抜なプロフィールが出てきたので全員引き気味だ。メイさんの風体なら納得の経歴ではあるが、あとに残された敬さんがやりづらそうだ。

「出身というかその、生まれたのはトゥールーズ」
「トゥ……どこ?」
「フランス。3歳までそこにいて、高校までは横浜、進学で東京、以後そのまま」
「みなさん移動距離長いですね……
「仕事らしい仕事はしてない。白蝋館以外にも相続したものが多いから、それらの管理で手一杯」
「ホテルが5つに会社が3つに一族郎党まで全部引き継いじゃってるんだものねえ」
「それは関係ないだろ……

ニヤニヤしたメイさんが言うなり場はさらにドン引き。敬さんはちょっとグレた大人としか思っていなかった若者たちが体ごと引いている。敬さんそういう方向の人だったのか。春林氏が苦虫を噛み潰したような顔をしているが、自分で言いだしたことなので何も言えない模様。

「だからほら、みんな接点なんてないじゃないか。ここに来たのも偶然」
「そっ、そこの同窓会は旧知の仲じゃないか。接点はあるだろ」
「そういや志緒、この子たちとはどれくらいぶりだったのよ」
「高校卒業以来だから……10年以上かな。クラスも一緒じゃなかったし」
「ぼ、僕が2年の時に同じクラスだったことがあって……
「あたしと共通の友人がいたりとか、そのくらいだよね」

ホテル外で唯一接点の存在した志緒さんと同窓会組だが、高校当時はごく親しいというわけでもなかった様子。志緒さんが白蝋館に静養に訪れるようになったのは、7年ほど前に体調を崩して以来のことだという。白蝋館自体は知人に教えてもらったそうだ。

いよいよケチをつけるところがなくなってしまった春林氏は不機嫌そうに顔をそらしているが、結果このプロフィール自己申告は「出身地や現住所や職業から怨恨説を押し付けられる人物がいない」と強調することになった。

だとすると衝動的犯行説、今度こそ誰が犯人でもおかしくない。最上が吐き出すように言う。

「てかだったらまずそこのシェフとホテルマンだろ。恭介だけ目の敵にしてたからな」
……逆でしょう」
「ああいうのは目の敵とは言わない。1番迷惑な客って言うんだ」
「ほら! ふたりともまたカッとなって恭介を殺したんじゃないのか」
「どうやって」
「オレが知るかよ。犯人なんだからさっさと吐けよ」
……あなたこそどうして206号室にいなかったんですか」

また一触即発という空気になっていたが、松波さんがふと思い出して顔を上げると、今度は最上がウッと喉を詰まらせた。そういえば……と視線が集中する。

「下谷さんは風呂だったんでしょうけど、葛西さんと最上さんは一緒でしたよね。葛西さんの部屋……205号室にいたんですか? というかいつ頃から東丸さんは206号室でひとりだったんですか? 被害者である東丸さんの事件前の状況を1番把握しているのは皆さんのはずですよね?」

松波さんのツッコミはもっともで、最上は唇を噛む。

「答えられないんですか?」
「そっ、そういうんじゃ――
「あのですね、私が206号室にお酒を運びましたのがですね、22時過ぎでした」

そもそもは菊島さんが珍しく毅然とした態度で22時に各施設を閉めると言い出したので、東丸たち同窓会組は206号室で酒盛りに興じているはずだった。事件発生は推定で0時10分頃のことなので、そこまで2時間。しかし下谷が事件発生当時入浴中で、国竹さんに発見されるまで浴室にいたということは、お開きになったのはそう早い時間ではないはずだ。

「べ、別にいいだろ、話すことがあったからこっちの部屋にいただけだよ!」
「こちらも別に責めてはいません。東丸さんの状況確認ですが」
「何を焦ってんのよ。何時頃から東丸が206号室でひとりだったかって聞いてんの」

松波さんとメイさんに詰め寄られた最上が答えあぐねていると、葛西が姿勢を崩して長く息を吐いた。

「はいはい、言えばいいんでしょ、時間ははっきりとは覚えてないけど、206号室を出る前にあの時計の音を聞いた気がするから、あたしの部屋に移動したのは23時過ぎてたはず。それまで4人で飲んでたけど、恭介が飲みすぎて面倒になったから龍己を連れて逃げたの。そこからあたしの部屋で過ごしてた。詳しいことは子供のいるところでは言えませんけどね。あたしたちが206号室を出たときはまだ勝がいたから、最後まで一緒だったのは勝ってことになるけど」

一転、全員の視線が集中した下谷は驚いてティーカップを落とし、熱い紅茶を膝に被ってうめき声を上げた。どうにも挙動不審な下谷だが、それは犯人だからというよりは元々おどおどしたタイプに見える。説明を求められているのはわかっているが、紅茶の始末をどうすればいいかわからない様子だ。

「僕はその、たぶん23時30分くらいに、風呂に行ったので、その後のことは」
……おかしいな、23時30分というと、オレたちが部屋に戻ろうとしてたときだ」
「じか、時間は正確じゃないです、別に時計とか見てなかったので、もう少し早かったかも」
「ということは、オレたちが戻ったときには既に206号室は東丸ひとりだった、てことか」

バーでこそこそと同盟を組んでいた8人はゾロゾロと館内を移動し、途中誰にも会わずに各自の部屋に戻った。とすると下谷の風呂はさすがに長過ぎないか、温泉でもないのに……とメイさんが突っ込んだ。

「も、もと、元々風呂が長いんです、半身浴とか、するので」
「でも1時間て」
「い、いいじゃないですか、男が長風呂したって」

だがどうにも様子が大袈裟になってきた。明らかに動揺している。今度は島さんが身を乗り出し、

「あなたが部屋を出る時、東丸さんはどうしてました?」
「ど、どうって?」
「さっき葛西さんは『飲みすぎて面倒になってきた』と言ってましたけど」
「た、確かに酔ってたけど、恭介はいつもそんなんだし」
「起きてました?」
「起きてましたよ」

この言い分を信じるなら、牧たち全員がバーから戻ってくる少し前に葛西と最上は205号室に、下谷は東丸を残して風呂に入りに行ったということになる。だとすると、そこから悲鳴が聞こえてくるまではかなり時間的に余裕がある。が腕組みの敬さんに声をかける。

「その間に誰かが訪ねて来ることは可能ですよね」
「もちろんそれはそうだ。オレたちは気付かないと思う」
「だけど悲鳴が聞こえたあとの206号室からは逃げられない……

そして状況密室の話は逆戻り。やはり誰でも犯行は可能だが誰にも不可能という状態になっている。

呆れつつも全員が春林氏の言いがかりに付き合っていた。それはどこかでこのやり取りの末に犯人の可能性が見えるなら……という気持ちがあったのだろう、途端に黙ってしまった。外部犯の可能性でもいい、この状況を少しでも先に進められる何かが掴めるならよかったのだが。

しんと静まり返ったラウンジにまた強い風の立てる音が響いた。